今日の呟きはやたら長いので長文
苦手な方はスルーしてくださいね。

週末は主人の実家の法事がありました。
房総のお寺に親戚が集まって
年忌法要と食事会。

私の実家の親戚の方は、
本家のお嫁さんがどうとか、
あちらのお子さんの学校はどことか、
子供ながらに、お嫁さんって大変そう
思って昔から育ちましたが。

主人の実家のご親戚は割とおおらかです。

それでも中にはお喋り好きな方もいて。
「子供は?」とか「仕事は?」とか
恐らくすでに分かっている事を何故か
大勢の前で聞いてきたりします。

主婦業は基本的に空気のようで、
子育てと同一視されているので、
今回も、子なし主婦の私は、
「家でボーッとしてるの?」
と言われました(笑)。なので、
笑顔で「ボーッとしてますよー」と
まあ、ある意味真実ですし(^-^;。 

それと、仕方のないことだけど、
同世代の女性がお子さんを連れてきていて、
主人の両親が目を細めたりしているのを
横で見るのは本当に心苦しい経験です。

私は、人の人生には(希な例外を除いて)
全く同じ分量の苦楽があると思っています。

その人毎の価値観に見合った
大きな悲しみや大きな喜びが
人生のどのステージで経験されるかは
本当にひとそれぞれ。

幼少の頃とても幸せなら
それを糧に、大人になってから
大きな悲しみを乗り越えるし、
幼少の頃不遇なら、
将来素晴らしい成功をしたり、
素敵な人に巡り会ったり。

だから私は、今現在、
子供があるかどうかや
お金があるかどうかで 
自分の人生を
人と比べて苦とも楽とも
思わないようになりました。

子供があってとても苦しい人もいれば
子供があって本当に満たされる人もいる。
子供がなくても、また然り。
お金があっても、なくても、
仕事があっても、なくても、同じ。

結局誰しもが、同じ悲しみ、同じ喜びを
経験している最中だと思うのです。
それを外に表すかどうかもひとそれぞれ。

地球のどこかでどん底の人がいたら
どこかで有頂天の人もいるけど
いつかは、もしくは別の何かでは、
立場が交代するので結局同じ。

可能なら全ての人の悲しみが
なるべく軽ければいいなとは思うけど。 

ただそれでも、今の私は
主人のご先祖様方と義理の両親の
幸せや期待を裏切った事への
申し訳なさは一生背負わなければ
いけないと思っています。

それは私の価値観とは別の所にあることで。
 
主人の両親や先祖の悲しみという、
彼等の試練の原因が
自分達にあるのは、
摂理と分かっていても
残念に思ってしまいます。

主人をこの世に送り出してくれた
ご実家の家系にとても感謝しているから、
恩を仇で返すような思いです。

まあ、これも結局裏表で
私の悲しみなんですけどね。
 
また、考え方ひとつで悲しみも
普通の事になったりするものですが。

自分の影響の及ぼせない範囲の出来事に
自分が心を砕いても仕方ない、
人の試練は人の試練、
それは彼らに必要なことなのだ、と。

でも今の私の価値観ではこれが限界。
家族行事でのこのストレスは
一生なくならないと思います。
そして今はそれで良いのでしょう、たぶん。

そんなことを思った週末でした。
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